高校生のお祝いスピーチから考えたこと。

先日の友達の結婚式@秋田にて。

友達である新郎も、彼のお嫁さんも、
どちらも高校の先生であり
どちらの生徒さんからも
お祝いのメッセージがよせられていた。
特にお嫁さん側の生徒さんは
披露宴にもかけつけていて。

その代表でスピーチした
男子生徒くんがこう言っていた。

「愛という字は、
真ん中に”心”と書きます。
つまり愛とは。真心なんです。」と。

真心かー。
ふと今日この話を思い出して
真心って何だろね、と
Web辞書で検索。

「真実の心。偽りや飾りのない心。
誠意。」だそうで。

他人とわたしは偽りや飾りのない心で
向き合っているか?と問いかけてみた。
…自信がない(^^;; 
ちょっとは飾ったりすること
あるよなぁと思う。

じゃあさじゃあさ、自分にはどうよ?
他人を愛するには自分を愛せて
いないと難しいってゆうじゃん?と
思って考えてみた。

愛とは真心=偽りや飾りのない心
ということからすると、
自分を愛するということは
自分と偽りや飾りのない心で向き合うということになる。

これは逆のパターン、
つまり自分の心を偽ったり
飾ったりした場合を考えると、
私には凄くしっくりきた。

誰々がこう望んでるからとか、
こうしたほうが
周りにウケがいいから、とか。
周りが望むこと
(そう望まれていると勝手に
思い込んでいることが多い)を
自分が望むことだと勘違いして
自分の心をいつの間にか偽る。

そうすると、
その対象の物事に取り組もうと
頭では思っても、
気力がなかなかみなぎってこない。
疲れやすい。集中力も切れやすい。
ここぞというときに失敗もしやすい。
そんな自分は不出来な人間だと
烙印を押す。

酷い場合は、失敗したことを
周りのせいにしたりする。
心の底では自分事になってないから。
それが周りを不快にするときも。
そしてまた自己嫌悪に陥ったりもして。

これでは自分を愛してるとは
言えないよね、明らかに。
これは全て私の数年前の経験。(笑)

この逆パターンを元に戻せば、
全て反対のことが起きる。

気力がみなぎってくる。
楽しくてしょうがない。
疲れにくい。
いつの間にか随分時間が
過ぎていたのねと思うくらい
集中する。
力まなくても何かと上手くいく。
そんな自分は意外とイケてるよね
と思うよりも"先に"、周りから
楽しそうだね、元気もらったわ、
という嬉しい言葉がもらえる。
(これも最近の私の実経験。)

そんなことが続けば、
自分を好きになるさー。
愛しちゃうさー。


自分を愛するということ。
自分と偽りや飾りのない心で向き合うということ。

これがようやくできてきた私は、
次は他人も本当の意味で
愛せるかな?と期待してみる。