リズ・グリーン攻め第2弾:サターン土星の心理占星学




読了しました。
「ユングと占星術」から始まった、
リズ・グリーン攻めの2冊目。

わたしは、いまだに土星は難解なやっちゃな~、と思います。
(ぶっちゃけ、土星外惑星は全部まだ難解かも^^;)

権威、社会的責任、境界、抑圧、忍耐・・・・・・
土星が持つ意味に、
ずしっとのしかかってくるような、冷徹なイメージを
抱いている人は多そうですよね。

それゆえに、ちょっと横においておきたい
できることなら触れずに放っておきたいという深層心理が働いて、
土星を見ないようにしてしまう、
そうして余計に「難解なヤツ」と思わせるのかもしれないですね。


でも、リズ・グリーンはこう述べています。
土星は苦痛や試練のみを象徴すると考えられがちだが、
心的過程も象徴している。
心的過程とは、苦痛や試練などの経験を、
より優れた意識を達成する手段として活用する足がかりである。

自分の目の前に立ち現れる試練は、
自分の無意識下で乗り越えたいと思っている部分だからこそ
試練として現れるのではないか、とわたしは思っています。

出てこられたらこられたで、いや~やめて~(´д`; って思いますけれど(笑)

それを乗り越えれば、自分の新たな強み、魅力になるし
乗り越え方の智慧も習得できるから
同じ試練にぶちあたって悩んでいる人に
その智慧をシェアすることもできる。

そんな素敵なあなたになれる、その足がかりはここですよ、
と土星は教えてくれているということですね。リズ・グリーン曰く。
ちゃんと向き合わないと教えてくれないので、厳しいですけれど。


土星がこの星座にある場合は、
このハウスにある場合は、
土星とこの惑星がコンタクトする場合は、、、
と本書には詳しく書かれていますので、

占星術を詳しくは知らない方でも
ご自分のホロスコープをお持ちで、
ご自分に向き合う勇気を持っていらっしゃる方には
オススメの一冊なのではと思います。


オーラソーマ・レベル1を学んで、気づいたことなどをまとめてみる。(後編)

前編の続きです。

オーラソーマ・レベル1を学んで、
とくに自分に響いたこと
について。

その前に、今回のコース中に描いた絵を
ご紹介しておこうと思います。
なぜかって?それは読み進めてくだされば
お分かりになるかと(笑)

コース中には、
オーラソーマとは?と問われて
自分が抱いているイメージを描いたり、
選んだボトルから受けるイメージを描いたり、
という時間が数回ありまして。

↓これが「オーラソーマとは?」と問われたときの絵














↓これは52番のボトル、レディナダを選んだときの絵










↓これは59番のボトル、レディポルシャを選んだときの絵










この3つはすべて、左手で描きました。
右脳を使うためだと思われます。
利き手ではないわりには、思うように描けたなあと思っています。

で、ここからが今日の本題。

わたしがこのコースで
もっとも衝撃を受けたもの。
それは。

人間の感情/思考・知性/肉体を
「馬と馬車」に例えると

馬=感情
御者=思考・知性
馬車=肉体

であり、

馬車の行き先を知っているのは
馬車の中にいる主人
(思考・知性じゃない!!)

ということです。

で、この話を聞く前にも、自分がイメージする
「馬と馬車」の絵を描いたのですが。
これはノートに右手withシャーペンで。











……え?これこそ、左手で描いたんでしょ?!的な絵(苦笑)
左手で描いた先の絵と比べてみてください。
何かがおかしいです^^;

しかもこの「馬と馬車」は輪郭しかありません。ぼやけまくりです。
わたしの左脳は、ぼやぼや〜っとしているのかもしれません。
(ある意味、この絵がコース中で一番衝撃的だったかも……)

肉体の内側に存在する主人については
わたしにはまだ自分の言葉でうまく説明することができませんが、
とにかくその主人は声が小さくて、
自分からは行き先を言わないらしいので
御者が行き先を知るには
静かに主人の声に耳を傾け、
馬の状態を穏やかに保ち、車の状態も熟知している必要がある
のだそうです。

今理解しているレベルでざっくり言うなら、
感情が荒れていたり、もしくは何も感じないようにしていては
行き先にはたどりつけないし、
頭だけで考えてても
なかなか行き先は分からない。
自分の内なる声を聞かないと、ということだと思うのですが。

わたしの御者は、立って馬をコントロールしようとしています。
普通、座っていますよね、御者って。
しかも、頭でっかちな御者です。
なんかこう、
頭ですんごい頑張ってどうにかしようとしてる感じがします(笑)
しかも。馬車の中には主人が乗っていないイメージなんです。
(某さんと同じ……)
わたしは、自分の内側の声には全く耳を傾けずに生きてきた、
そういうものがあるということも感じずに
生きてきたということなんでしょうね、きっと。

セッションのサンプルとして
わたしのその日のボトルを先生に読んで頂いたときも
頭で考え過ぎって話がでました。

はい、確かに、どうすれば今までの学びを
社会でうまく使っていくことができるだろうか。
いやいや、そもそもまだ学びが絶対的に足りないんじゃないか。
などど、いっつも考えていました。

でも、毎朝選ぶボトルたち、
ワークで選ぶボトルたち、
卒業式で選んだオーラソーマタロット(The Magician)のおかげで














”もう色んなものを持っている自分である”ことを
もっと信じていいんだっていうことに気づけました。
(ついでに言うと、色んなものを持っているということは、
誰にでも当てはまることだと思います。)

だからって、学びの歩みをやめてしまうわけではなく、
むしろやめろって言われても一生やめないと思いますけれど(笑)
今ここにいる自分の価値を大切にすることも
忘れずに歩んでいこうと思います。
いや、もう大切にしていますよっ!(アファメーション)


ブログでのまとめはこれにて、ですが、
色彩言語のまとめもこっしょり進めていきたいな〜と思ってまして。
日常の空いた時間でちょっとずつ学びを進められていくというのは
とてもとても贅沢なことだと思う今日この頃です。
(オーラソーマだけじゃなくて占星術もNLPも神社も〜。)

本を読むにも、自分を信じてなかった自分に気づかされた件。

「オーラソーマ・レベル1を学んで、気づいたことをまとめてみる。」の
後編を書く前に。















この本を読んで思ったことを、ちょいと書いておきます。

これは、オーラソーマコースが始まる
3日前ほどから終了日の間で読みました。
色彩言語のところはコース中に習うからと思って
すっとばしちゃいましたが。

そうすると、コースで取り組んだワークの中に
この本からの情報が、にじみ出たことが何度かありました。
無意識のうちに。
ワークをやってから、先生の話も聞いてから
あ、本の中のあのことだ って気づくということが。

そこで思ったんです。
読んだことが、ちゃんと自分の引き出しの中に
入ってきてくれてたんだなー、と。

読んで間を置かずしてのワークだったので
記憶に新しくて引き出しやすかったというのも
もしかしたら、あるかもしれません。

でも、わたしは「せっかく読んでも忘れちゃうかも……」
と思いながら本を読みがちで、気になったところは
evernoteに写真で残す派なので、
今回、外部装置に頼らなくても
ちゃんと引き出せているという感覚を鮮明に感じられて
嬉しかったんですね。

コース中に何度も
「今の自分を信じなよ」と気づかされたわたしですが、
ここでも、自分を信じてなかったのかーと
今気づきました、今!これ書いてて!(苦笑)

反省〜。

「本を読んで引き出しに情報を入れられている自分」
をもっと信じてあげようと思います。

オーラソーマ・レベル1を学んで、気づいたことなどをまとめてみる。(前編)

11/2から11/7の6日間にかけて、
しかも11/3の誕生日をはさんで
オーラソーマ・レベル1を学びました。

この日程自体にもスペシャルな計らいがあったのですが
書くとすんごい長くなるので、涙をのんで割愛します。笑













この6日間で、学んだことはたくさんあり
簡単にブログにまとめきれるものではありませんが、
とくに自分に響いたことに絞って
書いておこうと思います。

その前に、前編として
①なぜオーラソーマを学ぶことにしたのか?
②オーラソーマとは?
の2つをご説明しておこうと思います。
なぜならば、この2つの間で
ちゃんとつながりがあって、
このまとめをし出してからそれに気づいたからです。

後編として、次回
③とくに自分に響いたこと
をとりあげますね。

では。

①なぜオーラソーマを学ぶことにしたのか?

ぶっちゃけ「オススメされたから」です。笑
オーラソーマの先生(その当時は初めてお会いしたばかり)と
占星術の師匠から。

オススメされたのは、
今夏に宮崎へ旅行したときでした。

この旅行のなかで、
宮崎県西都市からさらにクネクネ山道の
奥へと進んだところに鎮座している
銀鏡(しろみ)神社へ、師匠と先生を含む
スピリチュアル仲間の皆さんと一緒に参拝しに行ったんですね。
















この神社の御祭神は岩長姫命、大山祇尊、懐良親王。
岩長姫命は、邇邇芸命に嫁いだのに、
その醜さゆえに親である大山祇尊の元に返されてしまったという
かわいそうな神様です。
親元に帰ってきたときに、
彼女は父から譲り受けた鏡を取り出して
自分の姿を映したところ、
ゴツゴツした顔でまるで龍のように見えたので、
深く嘆き悲しんで鏡を遠くに放り投げてしまいました。
その鏡が、銀鏡神社に納められているといわれています。

その神社で、みなさんで瞑想をしました。
受け取るメッセージがあれば
あとからみんなでシェアしようと話をしたあと、
それぞれがここだと思うスペースに散らばって。

わたしは、それまで瞑想をしたことがほとんどなく、
うーん、どうなるかなーと思いながら、
とりあえず余計なことを考えずに、
自分の内側に集中してみました。

気持ちいいと思うこと以外、
何も感じない時間がしばらく続いて、
「あー、何にも受け取らないなあ、
やっぱりわたしにはそういう力が
ないのかなあ……」と諦めかけたときに
ふと「わたしはこれから何をしたいんだろうな?」という
問いが湧きあがってきました。
なぜそう思ったのか、今でも分かりません。

そしたら立て続けに、
「もっともっと『自分を知る』ってことでしょ。」
って思いつきました。
これもなぜそう思いついたのか分かりません。
でも、だよねー、やっぱそうだよねーって
納得感だけは妙に強くて。

そして、その「自分を知ること」を
受け取ったメッセージとしてみんなにシェアしたら
「じゃー、オーラソーマだね。」と先生に言われ、
師匠からも「そうだね〜。やりなよ、オーラソーマ。」と言われ。

オーラソーマで何ができるのかは
なんとなくは知っていたものの、
それまで占星術で
自分がだいぶ分かってきていたつもりだったので
占星術で「自分を知る」ことと
オーラソーマでのそれと、どう違うんだろう?
さらに何をどのように知ることができるんだろう?
という好奇心が、むくむくと芽生えまして。

そうして、コースを受講することと相成りました。


②オーラソーマとは?

オーラソーマは、英語で書くと「AURA-SOMA」です。
AURAは光、SOMAは身体を意味します。

虹を思い出して頂ければ分かるように、光には色があります。
人間も自分の光、自分の色をもっているそうです。

「Human」の語源にも
「Hue=光」+「Man=ヒト/存在」という説があるようです。

その自分の色を思い出し、
光と身体をひとつにして発展させていくシステムが
オーラソーマ、ということだそうです。

また、オーラソーマで選ぶボトルは
「自分を映し出す鏡」とか「意識のカギ」といわれています。

わたしたちは、
自分のことは自分が一番よく知っているはずなのに
そのことを忘れてしまっている。
「思い込み」という皮を
重ねに重ね、自分の本当の顔が
分からなくなってしまっている。
ボトルという鏡で自分を映して思い出し、
自分の内側にある力(※)を取り戻そう。

ということが、オーラソーマの目指すところのようです。

※自分の内側にある力
「あの人のせいでこうなった」と
外に原因を転嫁することなく、
自分のすべての感情、行動の責任を
自分で取ることができる力、
つまり、自分で自分の人生を創り出していくことができる力
とわたしは理解しています。


で、この①と②のつながりは何なのかというと。

ずばり、「鏡」ですね。

銀鏡神社の看板には
「日向国鏡 銀鏡神社」と書かれています。
















ヒムカ(太陽の光に向かう)のクニの鏡。
これだけでもオーラソーマっぽいですよね。

さらに思うのは、
もしかしたら、岩長姫命が
「わたしみたいにならないように
オーラソーマという鏡のワークで
もっと自分を知りなさい。占星術にプラスして。」
とわたしに仰ってくれたのかもしれない、ということです。

ここにあるといわれている鏡は、
岩長姫命が自分の見た目に嫌気がさして
投げ飛ばしてしまったものだけれど、
実は彼女には、邇邇芸命に永遠の命をもたらしますように
という祈りが、父の大山祇尊によってかけられていました。
そんなすばらしい本来の自分の役割に気づかずに、
自分の見た目だけで
嘆き悲しんでしまったと思うんですね。

そんなふうになっちゃダメよ、と仰ってくれた、
だからわたしは銀鏡神社で
オーラソーマを始めるきっかけを得たんだと思うのです。


ちょっと蛇足ですが、
先生も銀鏡神社へ行ったときのことはブログに書いていらっしゃって、
それを読み返してみると、

ポマンダーはディープレッド
クイント・エッセンスはホーリーグレイル&ソーラーロゴスと
レディナダのミックスバージョン

を使っていて、ここからすでに
「地に足つけて、ありのままの自分の価値を見るのよ〜!!」って
言われてたんですねって思いました。笑


前編はこんなところで、おひらきです。
後編はいつになることやら〜。笑

本当に欲しいもの、ばれてた?!

今日、わたしのところにやってきてくれた
オーラソーマの
イクイリブリアムボトル44番。
















母から、誕生日プレゼントを何か買ってあげるから
ほしいもの決まったら連絡してって
言ってもらっていたので、
どうしようかな、このボトルをお願いできたらいいな、
と思いながら、先に自分で買ってしまい。
早く使ってみたいという月牡羊座の衝動と
説明しても、分かってもらえないだろうなという
恐れとが手伝って。

でもって、今日もまた
ボトルを買ったお店(ナディア)で
3,000円弱の毎月の生活必需品を買いまして。
おねだりするなら
こちらのほうが妥当かしらん、と思って
母に電話をしました。
自分でもう買っちゃったんだけど〜って。
(ええ、お値段的に遠慮したんです。
ちょっとの差ですけれど。)

そしたら。
ボトルの正規お値段相当分を
振り込んでくれるという話になり!
ボトル関連の話は一切せず、
今日買ったものについてしか話をしていないのに。

ボトルも、今日買った物も
どちらも大切なものですが、
買ってもらえたら嬉しいなと先に思っていたのは
ボトルのほうだったので、
無意識下でうちの母は分かってくれていたのだろうか?!と
思っちゃいました(笑)
かあさま、ありがとう!

で。そうなるんだったら、
正直に言ってみれば良かったとちょっぴり反省。^^;
年末年始で帰省したときに
ちゃんと伝えようと思います。