『型破り』と『形無し』の境目になるかもしれない3年間にいる今、思うこと

『型破り』と『形無し』の境目になるかもしれない3年間にいる今、思うこと

占い・精神世界研究家として、多岐に渡る占術の講座を各地でなさったり、欧米の書籍を英訳なさったりしている伊泉龍一先生。

同先生いわく、伝統的占星術に関する古い書籍(ラテン語で書かれたもの)の英訳が今世界で進んでいるらしいです。

先生のご説明をほぼ受け売りのごとく書くと、英語がかろうじてな日本にラテン語の書籍が入ってくるわけがなく、ゆえに伝統的占星術に関する文献は日本にはほとんどないそうです(ホラリー占星術だけを切り取った本はいくつかみかけますね)。

そうすると、日本には19世紀末にアラン・レオが提唱し出した現代占星術(心理占星術というほうが浸透しているかも)にしか馴染みがないというか、それしか知らない占星術師がたくさんいらっしゃるとのことです。

もちろん、わたしも入り口は現代占星術ですし、伊泉先生が訳された、『占星術完全ガイドー古典的技法から現代的解釈まで』(ケヴィン・バーク著)を読んだところで、伝統的の「で」の字もまだ習得できていない感覚があります。

ですが、西洋占星術に長く携わっていこうとしている者として、伝統的占星術を知らずしてこのまま進んでは、『形無し』の人になってしまうのではという危うさを個人的に感じています。

またもや伊泉先生の弁を借りると、西洋占星術が体系立てて書かれた本は、最古のもので西暦2世紀であるといいます。そこから19世紀まで、現代のような星座の性格描写が書かれた本はないそうです。

つまり、西洋占星術全体の歴史はとても長いけれど、現代占星術はたった1世紀そこらの歴史なのです。

アラン・レオ以降の占星術界の偉人たちは、生き延びるためにそれまでの予言的占星術と自分たちの占星術は違うと打ち出さざるを得なかった(このあたりの歴史は、ニコラス・キャンピオン氏著、鏡リュウジ氏訳の『世界史と西洋占星術』を読まれるといいと思います。分厚いので読むには気合が要りますが苦笑)ことと、
占術も時代の流れに沿って変化する部分があって、個々人がのびのびと自由に自分の人生を選択していく個性化の時代が到来する中、予言的・断言的側面がある伝統的占星術は変わっていく必要があっただろうということを考えると、現代占星術が世に浸透したのは自然な流れであったとは思います。

けれども、それ以前の、少なくとも約1700年の間(本になるほどの体系が成立する前を含めれば、もっと長いはず)に蓄積されたもの=型のようなものを知らないままにしておいていいのだろうか、と、土星が山羊座に入る少し前からわたしはとても気になり出しました。

前述の『世界史と西洋占星術』を読んだ頃(3年前くらい?)も少々気にはなったのですが、「現代に合ってない感がするから、わたしには必要ない」とそのときは切り捨てていました。それが、昨年12月に伝統や枠組みを重んじる山羊座に土星が入った影響か、今ここに来てやっぱり勉強しておくか、となってきています。

山羊座に入ったばかり土星は、2020年3月下旬に一度水瓶座に入り、7月頭から12月中旬で山羊座に戻った後、そこから本格的に水瓶座に滞します。物事の長期定着や継続をうながす土星(それゆえに、本当にそれでいいんだね?と問いも投げかけてくる土星)が、自由や変革を好む水瓶座にはいると、「既にあるものを各人の価値観のもとに変革し新しいものを創造していく」ことがじわじわとブームになるのではないかと、わたしは予想しています。

ただそのときに、型を知った上での変化なのか、知らずしての変化なのかで、信頼度は大きく変わるのではないか、とも思っています。

星座は前の星座の質を踏まえて成長していくという考え方がありますから、山羊座の、伝統や枠組みを重んじる質から脱して自由になりたいと思う傾向は出るとしても、完全野放し、ゼロベースからの何でもありの自由というのは違うような気がするのです。

”型がある人間が型を破ると『型破り』、型がない人間が型を破ったら『形無し』“

十八代目中村勘三郎氏がよく口にしていた言葉です。

『型破り』はしてみたいですけど、『形無し』になるのはわたしは御免です。

この約3年のうちに、占星術の伝統の世界をきちんと習得しておきたい、そのために過去の文献の英訳がますます進んでほしい、と思うのでありました。

あなたももし今、自分がいるフィールドで過去連綿と続いてきているものに目を向けないといけないタイミングにあるとしたら。

遠回りのように感じても、そこにしばしの時間をかけるのは、有意義なことかもしれません。