神社巡りで実感する世の中の理

神社巡りを続けていると、
世の中の理のようなものを肌で感じることがあります。

創建が古い神社から順番にめぐったり、
その時々でテーマとしていることに
関係のある神社すべてをめぐったりすることで
次に行くべき場所がおのずと知らされます。
しかも驚くような偶然の出会いによって。

写真は白山中居神社参道(岐阜県)



物事を正しい順番で、
正しい時に進めれば、
神様が道を開いてくださる
(おのずと道が開かれる)という理。

これを現実界の物事に照らし合わせるならば

「この人にこの話を持ちかけたいのであれば、
その前にあの人に話を通しておいたほうがいいな。」
とか
「あれを達成したいのであれば、
これとそれをこの順で済ませておけば、
あとあとスムーズにいきそうだな。」
とか
そういったことかなと思います。


8/17~19の3日間、
石川-福井-岐阜-(移動のみではありますが)富山と
4県をまたがって、師匠ご夫婦と
とあるミッションの旅をし
予定変更に次ぐ予定変更だったにも関わらず
最終的は「ああ、それで正しいルートだったのね。」
と思わずにはいられない、大充実の時間を過ごしました。

神社巡りという
神霊界とのつながりを深めるワーク
(とわたしは思っています)の中で
世の中の理を肌で感じると同時に
それを現実界で実践しきれていない
未熟な自分にも気づいて
もっと精進せねば~と思いました。

また、”正しい順番”と”正しい時”を知るというのも
なかなか難しいことであり、
ひとりでは気づけない場合も多いので
他者との関わりの中で
自分の在り方を確認するということも
大切なことなのだと、深く観じた旅でした
(他者と言うのは、親しい仲間だけでなく、
時には手厳しい言葉をくれる相手含め、
なのかも知れません)。


詳細を書くのは何となく控えておきます。
ほんとは書きたくて、
しゃべりたくて
たまんないんですけれどね(笑)

いやー、神社巡りは
これだからやめられません(笑)