あばかれると怖い?何が怖い?

占いは、何かをあばかれるようで怖い
※この場合の占いは、テレビや雑誌に掲載されるライトなものではなく、しっかり鑑定するタイプの占い

という話を時々耳にする。



それは、あばかれること自体が怖いのではなく、
あばかれた=本人もうすうすは感じていたけれど
見ないようにしてきた自分の質・才能を
はっきりと認識した、その後に、
「もう言い訳できなくなる」
ことを潜在意識が気づいていて、
それを怖いと感じるのではないか、
とわたしは思っている。


人間は他の動物にはない
自我をもっている。
他人の立場にたって、客観的に物事をとらえ
人間社会全体をよりよくしていこうとする意識。

これがあるから、
わたしたちは社会に対して
(分かりやすいところでいうと仕事で)
何ができるだろう?
何をすればいいだろう?
と考える。

自分ができること、やりたいことに気づくと
次は社会に向けて働きかけていきたくなる。
(個人の進化と惑星の関係で言えば、主に35-45歳頃の火星期)

だけれど、最初からなにもかもうまくいくわけではなく
働きかけながら、自分の質・才能を
磨いていく必要がでてくる。

うまくいかない自分を
目の当たりにするからこそ
磨いていくべきところが
分かるのだけれど
そんな自分と向き合うのは、
ラクなことばかりではない。

自分が思い描く通りにはできなくてくやしいとか
相手の期待に応えられる自信がないとか
失敗したらどうしようとか、そんなことを考える弱っちい自分に、
へこんだり
泣きたくなったり
ときには逃げ出したくなったりする。

でも、できるようになったときに
喜びを味わえることを知ってもいるから、
弱っちい自分を自分でヨシヨシしながら
がんばる。


弱っちい自分に向き合わないほうが
感情がゆさぶられることがない分、
ラクかもしれない。

自分は何ができるだろう?
何をすればいいだろう?と
悩んだままのほうが
弱っちい自分に向き合わなくてすむから
ラクかもしれない。
※この悩みも、これはこれで人によってはとてもツライものだけれど。

弱っちい自分を知らなければ
色々な可能性を秘めたスーパーマン(ウーマン)のような自分を
脳内に住まわせたままにできるから
言い訳ができるかもしれない。
自分はやればできる人間なんだよ、と。


でも、自分の質・才能を知って
そこに集中して磨き始めたら。
ラクも言い訳もできなくなるかもしれない。

だから自分の質・才能を知れる占いって
怖いって言われるんじゃないかしら、と思う。
※決して、占いをするわたし自身が怖いのではないと思うのよ、うん笑


でも怖さの向こうに、
深い喜びを得られる可能性も
両手をひろげて貴方を待っているかもしれない。

占星術家としてのわたしは。
怖さも喜びも、貴方と一緒に
味わっていける存在でありたいと思う。